「自分の中に毒を持て」は僕が最も奮い立つ一冊

初めて読んだ時から何年経っても色褪せない。
そして何回読んでも気合いの入る本があります。

岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか」です。

生き方に迷った時、何かに挑戦しようと思った時、これを読めばチカラがみなぎってきます。
この1冊の中にどれだけの名言が詰まっているか。
そんな名言も少しですが、紹介してみようと思います。

本当の生き方

何かやりたいことがあるのに諦めていませんか。
または過去に諦めた経験はありませんか。
僕は諦めたことがあります。
挑戦する前から諦めてしまうんですよね。
挑戦してもうまくいかないんではないかって、悪いことばかり想像して挑戦をする勇気が持てない。
もういっそのこと最初からそんな夢みたいなことはなかったことにして生きていく。
別にそういう生き方が悪いとは思わないけど、それで本当に自分の人生を生きたと言えるのか。
そりゃあ、安全な道を選んで生きても、それなりに楽しく幸せに生きることはできるかもしれない。
でも、本当にそれでいいのかな。

こんなことを考えてしまうこともあるかもしれませんよね。
そんな時に効く言葉。

失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人間の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。パーセンテージの問題でいえば、その九九%以上が成功していないだろう。
しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない。ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないだろう。
それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

安全な道か、危険な道か

自分の本当にやりたいことがわかっていてもやっぱり迷うんですよ。
そしてほとんどの人が安全な道を選びがちなんですよね。
それも当然な話で、安全な道さえ選んでおけば生きていけますもんね。
でも、本当に自分がやりたいことって危険な道なんですよ。だからこそ迷うんです。
やりたいことが安全な道だったら迷いません。
ましてや、そんなにやりたくもないことが危険な道だったら、わざわざ誰も選びません。
やりたいことなのに危険な道だからこそ迷うのです。
そんな場面に直面した時に。

・誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから、きびしさを避けて楽なほうの生き方をしようとする。
ほんとうの人生を歩むかどうかの境目はこのときなのだ。
安易な生き方をしたいときは、そんな自分を敵だと思って闘うんだ。

・あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。

・みんなどうしても、安全な道の方を採りたがるものだけれど、それがだめなんだ。人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何も出来なくなってしまう。計算づくではない人生を体験することだ。

流されるとどんどん消極的になる

安全な道ばかり選んでしまうのは仕方ないことのようにも思えます。
あまり何も考えず生きてしまうと、どうしたってそういう流れになるんですよ。
日本で教育を受けると将来について真剣に考える機会が圧倒的に少ないんです。
しかも、みんなと一緒であれば安心するっていうね。
人と違っていていいはずなのに、どうしてもみんなと同じであろうとしてしまう。そっちの方が生きやすいから。
どうしても同調圧力なんてものが働くんですよね。

実際に実社会に出てしまうと、会社とか勤め先では人生的な勉強をする必要は全然ない。会社内の事情に一応明るくて、上役、同僚と、いずれくる後輩という人間関係さえ適切に処理すれば事は足りる。だから自分は何か生き甲斐を、などと考えるのはバカみたいに思える。会社は忙しいし、夜帰ってくると疲れてしまうし、そのうち女房を持ち、子供などを持ってしまうと、型通りの家庭生活に入ってしまう。

これはもうその通りですね。僕くらいの年齢になると周りの人間はほぼ型通りの家庭生活って感じです。それがいいとか悪いとかは思わないけど、自分は望んでないですね、こういう生活は。

絶対的な自分をもつこと

人と違うということにプライドを持つべきです。
他人によく思われようとか、他人がどう思うかなんてことは気にせず、自分はこうだと周りに打ち出すこと。
そういうことを意識的にでもやっていかないといけませんね。
子供の頃から、そういうトレーニングしてもいいんじゃないかとすら思います。
自分がどういう性格だろうと、それをそのまま受け入れて、堂々としていればいい。
そういう気持ちでいられれば、自分の生きたいように生きられるはず。
こういったことについても下記のようなことが書かれています。

・他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準を置いて自分を考えていることだ。そんなものは本物のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分がほんとうに生きている手ごたえをもつことが、プライドなんだ。

・たとえば、もって生まれた性格は、たとえ不便でも、かけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。内向性の性格は悪いことだと思っているから、ますます内向的になってしまう。

決意して、やれ!

結局は自分で決意するしかないんです。
決意するからこそ、エネルギーが湧き出てくるんです。
エネルギーがないから決意できないわけではないんです。
自分でやると決める。やれない理由なんて探せばいくらでも出てきますからね。いずれタイミングがきたらとか言ってても、そのいずれは絶対にやってこないわけです。
ただ単純な話で、やろうとしないからやれない。本当にこれだけのことだと思います。

・やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために“いずれ”とか“懐古趣味”になるんだ。

・自分の運命を賭ければ、必ず意志がわいてくる。もし、意志がわいてこなければ運命に対する真剣味が足りない証拠だ。

・よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人には難しいという人がいる。そんなことはウソだ。
やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。

最後に

この本を読んで気合いが入って、奮い立っても、僕はなかなか挑戦できませんでした。
本当にビビってばかり。
それでもやっと決意できたんですよね。会社辞めるの時間掛かったなぁ。
本当にこの本はいつでも読めるところに置いておきたいと思える名著ですよ。しびれます。
なにか決断できないことがあるなら一度読んでみてはいかかでしょう。
とにかくやってみること、そう思えるはずです。