無職になってもう半月以上が経っている。
これには自分でもビックリである。
その間、誰とも会っていないというのもすごい。
誰かから連絡がくることなんてない。当然自分から連絡をとるなんてこともないわけだ。
だからといってずっと家にいるわけではなく、それなりに適当に出掛けていたりはするのだが、会話なんてものがあるはずがない。
よく「1日中家にいて、誰にも会っていないから声が出るか試してみた」みたいな話を聞く。私なんかひどいときには3日間くらい家から出ていないときがあった。一歩も出ていない。でも、声が出るかどうかなんてことで不安にはならない。あれはちょっとした笑いをとるために誰かが言い出した話にちがいない。
そんな状況の中、久しぶりに人と会話をした。
その日は、なんとなく出掛けようと思い、自宅のある大阪から神戸へ向かっていた。朝早くに家を出たもんだから、神戸のカフェで朝食でも食べようと思い、前から気になっていたカフェへ向かった。
私が入店したときには店内に2人組の女性と1人のおばちゃんがいた。私が入店して、わずかな時間しか経っていないときに1人の若い女性が入店してきた。
私が注文をし、その若い女性も注文をした。
しばらくしていると、最初に店内にいた2人組が店を出た。
その後、注文したものが運ばれてきて朝食をとりはじめた。
そうこうしているとおばちゃんが店を出る。すると、入れ替わるようにして、また別の若い女性が入店してきた。
このような時間経過を書いたのは「さて、今店内にお客さんは何人いるでしょう」という問題を出そうと思ったからだ。しかし、これを読んでいる人はそんな暇ではない。私のような人間にはいいかもしれないが、だいたいの人は忙しい。そんな忙しい人にこのようなくだらない問題を出している場合ではないと思いやめた。
それでも、私は問題を出したいのである。ということで、「私が注文したものは何だったでしょうか」
遡って読んだところで答えは書いていないのである。
私はそのときトーストとコーヒーを頼んだのだ。それらを食しながら読書をしていた。
すると店主の女性が1人のお客さんと話し始めた。
店内の状況を説明するが、今私を含めた3人の客は全員カウンターに座っている。カウンターの向こうには店主。
1人の客と話していると思っていたら、店主は別の女性とも話し始めた。2人の客はどうやら常連らしい。気づけば初対面のはずの客同士も会話をかわすようになっている。
店内には3人で話す女と1人で読書に耽る男。これを気まずいと言わずしてなんと言う。そんなことは気にしてられないとばかりに、読書に集中する私。3人がどんな話をしていたかは知らない。どんな話の流れだったのかもわからない。
「お近くですか?」
読書に集中していたはずだが、これは自分に向けられた言葉のような気がして顔を上げた。ここから久しぶりの会話が始まったわけだ。店主は客を巻き込むのがうまいらしい。そういう癖があると自分で言っていた。私も見事に巻き込まれ4人で会話をしていた。
なんという状況だろうか。もう何日も人と話していないというのに、初対面の3人と会話なんて。Jリーグの試合に1人放り込まれたくらいの状況である。絶対に私にパスを回すんじゃないと思いながら適当にフィールドを走っているのである。走ったところでまったくスピードも違って追いつけるわけもない。常にオロオロしているのだが、たまにボールが飛んでくる。私は慌てふためくしたかない。正直この例えには全然納得いっていないのだが、話を進めよう。
会話自体には内容という内容はないのだが、よくカフェに行くのかという話題になり、大阪でおすすめのカフェはあるかという話題になった。
「2軒、置いていってください」
店主は簡単にこんなことを言う。2軒おすすめの店を答えなければならない状況になったのだが、どれだけ考えても出てこなかった。本当に出てこなかったのである。しかし、私はこのとき、どのように返答すればいいのかわからなかった。「まったく出てこないです」と正直に言えばよかったのか。でも、「まったく出てこないです」という言葉には、実際はいくつか思いついているけれど、あまり言う気になれませんというニュアンスが含まれているものだと私は思っている。だから「まったく出てこないです」と答えるのは失礼なのではないかと思い、気が引けた。結局、私は何も答えられず会計を済ませ、無言のまま店を出た。
これが無職になって唯一した会話だ。そしてこの日以来また会話のない日々を過ごしている。
ここまで書きながら、そういえばこの日以来声すら出していないのではないかと思った。でも実際はそうではなかった。
この会話があった数日後、家で音楽を聴いていた。iPodを使いシャッフルで曲を再生し、スピーカーから流していた。流れてきたのはくるりの『ハイウェイ』。歌い出しの歌詞が「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」と流れてきた。
「百個も……」
久しぶりに発した言葉がこれだ。とりあえず声はまだ出ている。
どうか大阪でおすすめのカフェだけは聞かないでほしい。