自分の年齢を忘れるのはいい傾向だ

この前さらっと自分の年齢を34歳と書いていました。
そこに何の疑問も持っていなかったのですが、よくよく考えてみると僕は1983年生まれの33歳でした。
こんなことってあるんですね。

自分の年齢もわからなくなるくらい記憶が曖昧になってきたことに落ち込むかと思ったのですが、まったく逆でしたね。
この状況がうれしかったんです。

僕は年齢って記号みたいなもんだと思っていて、たいして意味を持たないものだと思っています。
年齢によって人を判断したくないですし。

だからこそ、自分の年齢を忘れていたことはいい傾向だなと。
年齢に捉われることがなくなった証拠じゃないですか。

年齢によって行動が制限されることってないですか?
例えば転職。
僕くらいの年齢になるとさすがに躊躇しますよね。
日本は人材の流動性があまりにもなさすぎるから、40代の転職とかってすごく難しくなりがち。
年齢なんて関係ないっていう転職市場がどう考えたって理想だと思うんだけど。
年功序列みたいなものも残っていたりもしますしね。
20代の上司、50代の部下みたいなのも全然アリだと思うんですよ。
完全実力主義でよくないですか?
そうならないから日本では年齢という、たいして本質的でもないことが重視されたりするんですよね。

ジョーゴタケシ(33)、日本だとこのように人の名前の後ろに年齢が表記されますよね。
あれ、海外だとほぼないんですよね? 知らんけど。
会話の中で年齢聞いたりもないですよね。
それが普通だと思うんですけど、日本人ってのは年齢にこだわるようで。
「いくつですか?」っていう会話をよく耳にします。
これっていつの時代からこんなことになってるんだろう。

なんか真面目な話になっちゃいましたけど、僕は年齢によって何かを判断しないようにしています。

この前テレビを観ていたら田臥勇太選手が出ていました。
田臥さんが大事にしている言葉が紹介されていたのですが、それが「NEVER TOO LATE」。
直訳すると「遅すぎることはない」。
「今からでも遅くない」ってことです。

いくつだろうと挑戦はすべきだし、年齢によって諦めるのはもったいないなぁって。
遅くないんですよ。
やりましょうよ。
やらなかった後悔より、やった後悔でしょ?
みんなわかっているのに、やらないのおかしいでしょ?
そもそも、やった後悔の話って聞いたことないんですけど。

「NEVER TOO LATE」、最近自分に言い聞かせています。