サウナと水風呂に教えられたこと

調子にのるとロクなことがないなんてことはわかっていたはずなんだけど、そんなことは忘れてすぐに調子にのってしまう。



▲写真はスーパー銭湯とは関係ない京都の梅湯。個人的に応援している銭湯。

最近はスーパー銭湯に行くことを楽しみに生活している。
週に1回行くことにしようかなんて計画していたりもする。

スーパー銭湯というのはあらゆるものが揃っており、ゆっくりしていると結構な時間滞在していることになりがち。
この前は晩ご飯をスーパー銭湯で済ませることにした。
家から一番近いスーパー銭湯は最近行くようになったので、初めてそこでご飯を食べたのだけど、これがなかなかよくて癖になりそう。
たぶんこれからはご飯をここで済ますことも増えるのではないか。

スーパー銭湯で楽しみにしているのはサウナ。
むしろサウナに入るために行っているようなものだ。
と、ここで冒頭の調子にのった話。
サウナで調子にのったとなれば、簡単に想像できそうなものだ。

この日はとても調子がよかった。
いつもより長い時間入っていてもいくらか余裕があった。

「今日はイケる!」
何がイケるのかわからないし、長時間入っていればいいというものでもない。
そんなことは冷静に考えればわかるのだが、サウナに入った途端、サウナの魔力にやられる。
少しでも長く入っていたい。
この気持ちよさ、もっと味わいたい、なんて考えるようになる。

この日はたまたまタイミングがよくて、ロウリュウの時間にも入ることができた。
前回ロウリュウを受けた時は、「無理無理無理ッ!」って感じですぐに出たのだが、やっぱりこの日は調子がよかった。
ロウリュウでも余裕だ。
終始涼しい顔をした、余裕のある大人の男である。

サウナから出ると水風呂に入るのがマイルール。
水風呂から出るまでがサウナなのだ。
サウナから出たら水風呂なんて当たり前だと思っていたが、意外と入らない人が多くてびっくりしている。

この日も当然水風呂に入っていた。
最近は水風呂に入る時間を特に意味もなく長くしている。
すると心臓の収縮が感じられる。
末端の血流がよろしくない僕にとって、血が巡っている感じがなんとも最高なのだが、ここ最近の水風呂でのドクドクと血が流れている感じがちょっとヤバいのではないかとずっと感じていた。
どうにも体への負担が大きい気がしていたのだ。
だったらやめればいいものの、水風呂に入るというマイルールをきっちり守っている。
しかも長めに入る。

この日も長めに水風呂に入っていたら、いよいよ体がヤバいことになった。
あきらかにしんどい。
水風呂から上がろうと立ち上がってみたらふらふらする。

ここからが地獄である。
まともに歩けやしない。
なんとか壁に手を伝いながらふらふらと歩いた。
いつ倒れてもおかしくない。
いつ目の前が真っ暗になってもおかしくない。
それくらいには追い込まれていた。
とりあえず座ろうと思い、洗い場の椅子に腰掛けた。

自分の感覚としては頭の血管がおかしい気がしていた。
これ本気でやばくないか。
意識がなくなって倒れたら死ぬかもしれない。
そんなことまで考え始めた。

人生で最も強く「死」を意識したのは、間違いなくこの日だった。
あー、人は簡単に死ぬんだ。とても大袈裟で恥ずかしいけれど本当にそう思った。
この日以来、自分1人で倒れたら、誰にも発見されず死んでいくぞと思うようになった。
いずれ人間は死ぬ。それが早いか遅いかだけの違いだから、別に死ぬことは怖くないと思っていたのだけど、急に死ぬことが怖くなった。
まだやりたいことがあるじゃないか。
ここで終わるわけにはいかないと思った。
やっぱりやりたいことがあるなら、やっておかないといけない。
いつ死ぬかわからないし。
今日車に轢かれて死ぬかもしれない。
明日ホームで背中を押され線路に落ちて死ぬかもしれない。
明後日通り魔に刺されて死ぬかもしれない。
そんな可能性があるのだから、死ぬ前にやりたいことをやりきろう。
やりたくないことをしている時間はない。

今日はサウナと水風呂に入りたい気分だ。やりたいことはやっておこう、死なない程度に。