孤独の先に見えてきたもの

最近「孤独」について考えています。
「孤独」であることによって、どういったことがもたらされるのか。

そこでこんな本も買ってみたり。
松浦弥太郎さん。

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この本はまだ読み終えていませんので、下記内容とは一切関係がありません。

最近の僕についてつらつらと。

僕は人間が嫌いだ。

そのような僕がうまく人付き合いができるわけもなく。
当然のごとくコミュニケーション能力は著しく低い。

それでもわりと器用な方ではあるので、あるコミュニティーに属すれば誰とでも話をする。
しかし、そもそも人と話すことは好きではないので特別コミュニケーションを図ろうとすることはない。
人と話をしたいという欲求がまったくと言っていいほどないのだ。

孤独になってみた

ここ2年半くらいはずっと孤独でいることにしていた。
していたというのは少し不自然な表現で、それはもう自然と何をするにも1人になっていた。
それもそのはず僕には友達がいない。
最後の彼女と別れたのが2年半くらい前で、それ以降彼女もいない。

その間、旅行も1人で行くようになったし、休日の過ごし方もとことん1人でいることになった。
ただそれが苦痛だったかと言えば、そんなことは一切なく、むしろ自分にとってはとても居心地がよくとにかく楽だったのだ。
いつしか1人でいるのが大好きになった。

自分との対話

1人でいると何をするのか。
圧倒的に自分と対話する機会が増える。

「自分探しの旅」を否定する人は多い。
事実、自分を探したところで見つかることなんてないと思っているが、「自分探し」とはそういうことではない。
本当に自分が志向していることは何か、もっとも大切にしていることは何かといった自分の軸となるものを確認する作業が「自分探し」と表現されているように思う。

さて、僕の場合どのような新しい自分と出会えたのか。
1人でいることによって、とにかく自分の価値観というものが固まってきた。
もちろん価値観はどんどん変化していくものであるが、その時その時で自分自身の思考を確認する作業を徹底的にやるようになった。
それはもう無意識の内に行われているので、特別何か意識をして「自分とは」みたいなことを考えることはない。
そうしていると自分の軸が固まった。

するとどうなるだろうか。
自分の考えが正しいなんてことは全然思わないが、自分の考えはこうだと強く思うようになった。
それがいつどんな状況で誰を相手にしようと揺らがない。
そんな状況で今までの友達と会うと、どこかズレが生じてきた。
今までは相手の様子を伺いながら関係性を構築していたのかもしれない。
そんなことをして意味があるのか。そう思い始めたら、自分の生きたいように生きようと考えた。
自分の感情に素直になった結果、友達を全員失った。

まぁ、そんなものだろう。
そんなことで崩れる関係なら、それまでだったのだ。

こうして友達が1人もいない生活に突入する。

家族が他人という感覚

友達を失った僕が接する機会がある人と言えば、経済活動である、お店に行ってモノを買ったり、ご飯を食べたりといったことで関わる人と仕事関係の人、そして家族だけになった。

僕は1人暮らしをしている。
家族は両親、兄弟、祖父祖母といったところになるのだが、離れて暮らしていると特別連絡を取ることもない。
たまには連絡くらいしないとなと思うものの行動に移すことはない。
つくづく親不孝だと思うけど、それでも行動が変わるわけではない。

ずっと1人でいるうちに他人にまったくと言っていいほど興味がなくなった。
それが家族にまで及ぶとは想像もしなかった。
孤独であることを極めれば極めるほど、自分以外の人間は全員他人だという感覚になった。
家族であったとしても自分ではないので他人だ。
もともとひどく冷めた性格をしているため家族に対する思いが強いわけでもない。
人の死がそんなに悲しくない。人なんていずれ死ぬし、それが早いか遅いかだけの違いだと考えるくらい冷めた性格だ。
そうだとしても異常だと思う。
家族すら他人。そんなことを思う人になるなんて自分でも思ってもいなかった。
しかし事実だ。
興味がないものは興味がない。
僕の家族に特別問題があったわけでもない。
平凡な家庭だったはずだ。特に大きな問題もなくここまで生活してきた。
当然嫌いなわけでも、憎んでいるわけでもない。

それでも、こういう感覚を身に付けたことはとてもよかった。

そして自立

何がよかったのか。
それは何かあった時に頼る場所がないということ。
もちろん両親にはいくらでも頼れるのだが、一旦そういった感覚を味わうともう頼ろうという気すらなくなる。
すべては自分でどうにかする。1人で生きていくと強く思えるようになった。

この感覚はとてもすばらしいものだと思う。
事実、親だっていつかいなくなる。
結局は1人だ。

一番よかったのは自分の人生を生きようと思えるようになったこと。
自分の人生は自分でデザインするべきなのだ。
自分に正直に生きる。これが実践できるようになってきた。

つながりを求め始めた

孤独を極め続けた結果、変化が訪れた。
新たなステージへの突入である。
自分でもなぜだか分からないのだが、人とのつながりを求め始めた。
ただ単純に1人でいることに飽きたのだと思っていたんだけど、どうやらそうでもないらしい。
まだなぜそんな気持ちになっているのか分からないのだけど、最近ずっとそのことを考えている。

他人だと思っていた家族を愛し始めた。
それでもめんどくさくて会いに行くことも連絡を取ることもないのだけれど……。

彼女だって欲しいし、友達だって欲しい。
しかし、ずっと孤独を選んできたせいで、どうやって友達を作ればいいのか分からなくなってしまった。
もう人付き合いの方法がまったくもって分からない。

これから少し試行錯誤を繰り返してみようかと思う。
とりあえず僕は自己開示することが一切できないので、そこから始めないといけないと思っているところ。

彼女は当分できないと思うんだけど、友達だけでもできるかな。
それにしても出会いがない、出会いが。

孤独を極めたら、自分のことがよく分かったし、いつしか人を求め始めた。
自分のことが分かってからできる友達は特別な存在になるかな。
そうなればいいな。
なんか孤独になってみるの悪くないな。
人間のことを心の底から愛せるようになるかもしれない。可能性だけはある気がしてきた。

1つ懸念していることは創作する上では孤独の方がアイデアが浮かぶと思うんだよなぁ。

とことん孤独になってみて得たもの

孤独を極めてみるといろんなことが見えてきて、たくさんのことを得たように思う。

・結局は1人だから1人で生きていくという覚悟
・人間も悪くないなと思えた
・つながりを求め始めた
・孤独に対する恐怖が一切なくなった

なぜだか分からないままだけど、人とのつながりを求め始めたことは本当に意外で大きな発見でした。
でも、つながりを求めたところで、まだ誰ともつながっていません。もう無理かもね。根本的な人間嫌いは治らないとは思ってる。

これからまたいろんな本を読んで、考えをまとめていこう。
自分でもまだ自分のことが分かっていないのかもしれないし。

あー、こういう感覚を小学生の時くらいから持っていたら、全然違う生き方をしてただろうな。